#5 長月 大文字遺跡について(3)
2024年9月1日
今回は当館に展示されている大文字(だいもんじ)遺跡(縄文後期)の土偶をについて考えてみましょう。大文字遺跡では配石遺構や遺物集中区などの周辺から多くの遺物が出土しています。この中で注目されるのは、やはり188点にもおよぶ土偶たちです。これらの土偶の多くは胸や膨らんだお腹の表現が見られ、当時の妊婦さんを表現したと考えられます。
大文字遺跡の土偶は形から大きくふたつのタイプに分けられます。ひとつは立った状態の土偶(立像)で、もうひとつは座った状態の土偶(座像)です。
立像土偶は出土点数が多く、顔や頭の形などからその変遷過程をたどることが可能です。1は顔に小さな穴を3か所開けて目と口を表現しています。このすぐ上の部分に粘土紐をV字形に貼り付けて眉と鼻を表現しています。また、頭に2本の粘土紐をねじって貼り付けています。髪をねじるか、または編んで頭の上で束ねた状態を表現したものか、または、ねじり鉢巻きを結んだ状態なのかもしれません。ここでは仮に「カール状の髪形」と呼ぶことにします。1の土偶では、カール状の髪形がしっかりと表現されていますが、2の土偶になると上や後ろから見るとカール状の髪形の痕跡が見られるのですが、正面からは見るとよくわからない状態です。カール状の髪形の表現が次第に崩れてきているといえます。3は頭の上と両側が出っ張っていて、三角おむすびのような形となり、関東地方で山形土偶と呼ばれる土偶に似た特徴をもっています。この頭の形も別の髪形をまねているのかもしれませんが、カール状の髪形の痕跡は全く見られなくなります。顔の表現も1や2の土偶とは少し変わってきているようです。このように、頭や顔の状態から1→2→3と土偶の変遷を想定することができます。ただし、3の土偶は胴体が無いので立像か座像かはわかりません。
次に座像土偶ですが、大文字遺跡からは2点出土しています。4は小形の土偶で腰を強く曲げて座る姿勢をとっています。顔は粘土紐を貼り付けて眉と鼻のみを表現しています。一般に座像土偶は座って行う出産(座産)の状態を表現しているのではないかといわれています。
では、立像土偶はどうなのでしょうか。
立像土偶もやはり出産の状態を表現しているのではないかと考えられます。1や2の土偶の体形を見ると足はO脚で、腕は上腕を横に広げ、前腕を下に曲げています。この形は産屋で横に渡した棒を両脇にかかえ足を開き中腰になり、出産を行っている状態を表現しているのではないでしょうか。あるいは棒ではなく天井から縄をつるした可能性も考えられます。また、1の土偶は膨らんだお腹の下に目や口より大きなくぼみが見られますが、これはまさに胎児が生まれてくる状態を表している可能性が大きいといえます。
このように、大文字遺跡をはじめとした縄文後期の立像土偶は同じような体形をとることから、いずれも出産の状態を表現している可能性が高いといえます。これらのことから土偶本来の製作目的は安産を祈願したものだと考えられる(安産御符説)のではないでしょうか。
また、土偶は壊れた状態で出土することが多いことから、故意に壊されてあちらこちらにばらまかれたという説もあります。これは、土偶(あるいは女性)の生む力にあやかり、食料となる動物や植物が野山に再生産されることを願ったという考え(地母神説)によるものです。この説も有力視されていますが、土偶の二次的な使用法とすべきではないでしょうか。
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髙橋憲太郎(たかはしけんたろう)
1958年、水沢市(現奥州市)に生まれる。
1977年、岩手大学教育学部に入学し、岩手大学考古学研究会に入会後、岩手県教育委員会の西田遺跡資料整理作業や盛岡市教育委員会の志波城跡(太田方八丁遺跡)・大館町遺跡・柿ノ木平遺跡等の発掘調査や整理作業に参加する。
1981年、大学卒業後、盛岡市教育委員会(非常勤職員)・宮古市教育委員会(1984年正職員)に勤務。特に宮古市では崎山貝塚の確認調査や国史跡指定業務等に従事した。この間文化課長・崎山貝塚縄文の森ミュージアム館長・北上山地民俗資料館長等を歴任。
退職後の2020年、奥州市に帰り教育委員会にて文化財専門員(会計年度任用職員)として埋蔵文化財業務等に対応。
2021年、岩手県立大学総合政策学部非常勤講師。
2024年、えさし郷土文化館長就任。