館長室から

#8 師走 落合遺跡の出土遺物について(1)

2024年12月1日

江刺の愛宕地区に所在する落合遺跡は、かつての落合Ⅰ遺跡・同Ⅱ遺跡・同Ⅲ遺跡がひとつの遺跡として統合されたものです。

このうち落合Ⅱ遺跡では、昭和49年に東北新幹線建設に先立つ発掘調査が行われ、旧河道と思われる場所から多量の土器や木製品などが出土しました。なかでも注目されるのが墨書土器です。報告書によると、旧河道堆積層中から出土した土器総個体数427点のうち169点が墨書土器です。図化していない破片41点を含めると合わせて210文字になるということです。墨書される土器は坏が圧倒的に多く、墨書土器169点のうち坏が157点と93%もの高比率となります。次に坏における墨書の比率をみると、坏の総個体数300点のうち墨書土器が157点で、比率が52.3%と半数を超えています。坏の半分以上が墨書土器というのは多にあまり例が無いと思われます。

土器に書かれた文字については、「夲」「真」「山」「田」「新」「有」「家」「光」「井」「徳」「乃」「寺」「圭」「千大」「客坏」「上保」と多様ですが、最も多いのが「夲」で146個体、続いて「山」が4個体で、他は1個体ずつです。

「夲」については「とう」と読んで、前に赴くという解釈をする場合もありましたが、現在は「奉」の異体字として、「たてまつる」と読むのが一般的なようです。

「奉」「夲」「本」「大十」と書かれた墨書土器や線刻土器は「奉書土器」と呼ばれ、北海道から鹿児島県に分布し、特に関東地方や東北地方に多いようです。時期的には一部7世紀代まで遡るものもありますが、概ね8世紀以降の奈良時代・平安時代のものが主体となります。また、出土する遺跡としては国府や城柵などもありますが一般集落が多いようです。

このような中で、落合Ⅱ遺跡出土の「奉書土器」は全国的にみても圧倒的な出土量です。出土状況からは水辺において何らかの儀式や儀礼が行われ、その際に神か仏に対して土器に入れた献上品を奉ったか、または土器そのものを奉った可能性が考えられます。同一個体に「寺」と「夲」を記した墨書土器も出土していますので、もしかすると付近に仏堂があったのかもしれません。

次に取り上げたいのが「上保」です。保は律令制における住民支配のための組織で、五戸をひとまとまりとし、その代表者を保長とします。「上保」は五保か保長に「上(たてまつる)」ということになるのだと思います。

「客坏」は土器の用途を記していますが、同じ土器に「夲」も墨書されていることから、この客も儀礼・儀式の参加者だったかもしれません。

他の墨書土器については、所有者や地名などを記している可能性が考えられますが、詳細は不明です。

落合遺跡の出土遺物について(図1)「夲」

落合遺跡の出土遺物について(図2)「山」

落合遺跡の出土遺物について(図3)「上保」

落合遺跡の出土遺物について(写真1)展示状況

髙橋憲太郎

髙橋憲太郎(たかはしけんたろう)

1958年、水沢市(現奥州市)に生まれる。
1977年、岩手大学教育学部に入学し、岩手大学考古学研究会に入会後、岩手県教育委員会の西田遺跡資料整理作業や盛岡市教育委員会の志波城跡(太田方八丁遺跡)・大館町遺跡・柿ノ木平遺跡等の発掘調査や整理作業に参加する。
1981年、大学卒業後、盛岡市教育委員会(非常勤職員)・宮古市教育委員会(1984年正職員)に勤務。特に宮古市では崎山貝塚の確認調査や国史跡指定業務等に従事した。この間文化課長・崎山貝塚縄文の森ミュージアム館長・北上山地民俗資料館長等を歴任。
退職後の2020年、奥州市に帰り教育委員会にて文化財専門員(会計年度任用職員)として埋蔵文化財業務等に対応。

2021年、岩手県立大学総合政策学部非常勤講師。

2024年、えさし郷土文化館長就任。

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