#10 睦月 震災からの復興と文化財保護
2015年1月3日
新年明けましておめでとうございます。本年も皆さまにおかれましては、より良い年で有りますようお祈り申し上げます。
お陰様をもちまして当館は今年で15周年を迎えます。これは何よりも皆さまのご理解・ご支援によるものと深く感謝申し上げます。今後も旧年中と変わらぬご愛顧の程、何卒よろしくお願い申し上げます。
津波直後に、所属する学会からの依頼で海岸部の遺跡、とくに貝塚遺跡の被害状況をまとめる機会があった。
要約すると、沿岸12市町村に所在する120ヶ所前後の貝塚の殆どは標高50メートル以上の高地に立地していた。津波自体の最高波高が30メートル、波が陸上を駆け上がった遡上高が40メートル前後であったから、僅かな例外(陸前高田市の門前貝塚の裾部など)を除いて、大半の貝塚群は津波の被害を受けていなかったのである。
約1万年続いた縄文時代に、東日本大震災規模の津波が10回あったことが確認されており、単純化すれば1,000年間に1回発生していたことになる。恐らく縄文人たちは、過去の津波の記憶をしっかりと持ち、高位地に集落・貝塚を形成したのであろう。
同様に本県沿岸部の古代遺跡(例えば8世紀の山田町房(ぼう)の沢(さわ)古墳群、10世紀以降の宮古市島田(しまだ)Ⅱ遺跡など)が山地の急斜面や稜線上に立地していることも津波を意識していたものであろう。
このように、遺跡群が高位地に所在することは、高台移転などの復興工事と遺跡群が「ぶつかる」ことになることは自明である。
現在の文化財保護の方式では、開発予定事業地内に遺跡が所在する場合は、最低限の措置として、工事着手前に発掘調査を実施し、調査の記録を報告書として発行することになっている(これを、記録保存を目的とした緊急発掘調査と呼び、日本の発掘調査の95%を占めている)。
津波からの復興という切迫した状況では、高精度の発掘調査を迅速に実施することのみが有効な対処方法である。そして、その実現のためには、発掘調査体制の充実が不可欠である。
現在、岩手県には他の都道府県の教育委員会や埋蔵文化財センターの職員数十名が応援にきているし、県内市町村教育委員会の職員も沿岸部へ応援にいっている。このような努力により、幸いにもこれまでは「復興の邪魔をする文化財調査」的な否定的な論調は聞こえていない。今後も「文化財も含んだ地域の復興」という考え方で進んでいってほしいと願うばかりである。
考古学関係の専門雑誌『考古学ジャーナル』第662号は「東日本大震災と文化財」を特集として発行された。
そこに黒田大介(くろだだいすけ)氏(岩手日報論説委員)が執筆した「真の復興と発掘―岩手県における震災後の埋蔵文化財報道をめぐって―」と題した文章が掲載されている。これは黒田氏が担当した岩手日報2013年1月11日付特集「先人の知恵復興に力」の編集意図を述べたものである。即ち、「発掘を復興に生かす」「長期的な視野に立って地域住民と共に歩む」というもので、一読に値する文である。
相原康二(あいはらこうじ)
1943年旧満州国新京市生まれ、江刺郡(現奥州市江刺)で育つ。
1966年東北大学文学部国史学科(考古学専攻)卒業後、7年間高校教諭(岩手県立高田高校・盛岡一高) を務める。1973年から岩手県教育委員会事務局文化課で埋蔵文化財発掘調査・保護行政を担当。その後は岩手県立図書館奉仕課長、文化課文化財担当課長補佐、岩手県立博物館学芸部長を歴任し、この間に平泉町柳之御所遺跡の保存問題等を担当。2004年岩手県立図書館長で定年退職後、(財)岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター所長を経て、2009年えさし郷土文化館館長に就任。
岩手県立大学総合政策学部非常勤講師(2009年〜)
岩手大学平泉文化研究センター客員教授(2012年〜)
2024年えさし郷土文化館館長退任