#52 文月 岩手の経塚群 ―12世紀、奥州藤原氏時代を中心に③―
2018年7月13日
◇経塚の特性
考古学的な観点から、遺構として認識される場合の経塚の特徴を紹介する。
▼立地
山麓や段丘崖上で、眼下に見下ろす高位置や、名山霊岳と言われるような山岳の境地や寺社の境内、及びその附近に築かれる。その他、丘陵の尾根上や古墳の墳頂などが選ばれる場合もある。
▼埋経のための内部施設
経典を納置する小さな空間で、地中に土坑(どこう、土を穴を掘っただけのもの)・石室(せきしつ、穴の周囲に石を組んで補強したもの)を設け、経典を納置した後に、口に蓋をしたうえで、その上部に塚を積み上げる。
塚には土砂だけのもの、礫を積んだものなどがある。
また、塚を築かずに、自然の岩床を穿っただけのもの、洞穴の岩や間隙を利用したものなどもある。
▼埋納される経典
法華経が主であり、紙本経(しほんぎょう、紙に書写)・瓦経(かわらぎきょう、板状粘土に刻銘して焼き上げ)・礫石経(れきせききょう、瓦石に書写)、或いは銅板(どうばん)・滑石(かっせき)・貝殻(かいがら)・木板(もくはん)に刻字、墨書される場合もあるが、普遍的なのは紙本経である。
▼経巻の容器
紙本経は容器に納入して埋納される。経典納入の専用容器である経筒(きょうづつ)には石・陶製もあるが、銅製の円筒型が一般的である。この表面に施主名・趣旨・年月日などが刻まれる。
経筒は、さらに厳重に、石製や陶製の外容器(経筒外容器きょうづつ・がいようき)に容れられる。
▼経筒
円筒形が一般的であるが、稀に箱型が存在。
経筒には、円・六角・八角型があり、銅・鉄・石・陶・木製があるが、銅製の円筒形が最も一般的である。
その製法は鋳銅(ちゅうどう)・打物(うちもの)・鋳放し(いはなし)・轆轤(ろくろ)びきなどで、鍍金・鍍銀もある。
蓋は平蓋(ひらぶた)・盛蓋(もりぶた)・紐帯(ちゅうたい)付・傘(かさ)型があり、底は平底・上げ底・台座付などがある。
これらの経筒が石室に納置されるが、その周囲に木炭・小石などが充填されることが多い。
▼副納品(ふくのうひん)
経典に副えて納置されたもので、埋納の際の儀式に用いられた法具・仏具、或いは、その際に奉塞(ほうさい、お供えされた)の物、更には、弥勒菩薩出現の際の儀式や奉塞に備えるものなどである。
※仏像・鏡・御正体(みしょうたい)
※仏具・法具類―六器(ろっき)・火舎(かしゃ)・柄香炉(えごうろ)・鈷杵(こしょ)・鈷鈴(これい)・花瓶(けびょう)
※利器・工具類―太刀・短刀・刀子・剣・鎗身・鏃・斧
※調度・装身具―皿・合子(ごうす)・瓶子(へいじ)・火打鎌・櫛・簪(かんざし)・珠玉・銅碗・青磁鉢・扇・笄(こうがい)
※銭貨(せんか)類
◇奥州藤原氏の経塚の特徴
奥州藤原氏の支配領域には、以上の正式の埋経方式に則った経塚が存在するが、それは少数であり、圧倒的多数は専用の経筒に納めていない。経巻を直接陶磁器に納めて、蓋をして、石室などに納置しているものが多い。
経筒の使用が少ないことから、施主・年月日など埋経の背景・事情を知る銘文が得られないという事態が生じている。
この経筒の省略は、奥州藤原氏の埋経に対する知識不足というよりは、奥州藤原氏の「独自性の発主張の露」と見做すべきであろう。
◇経塚の変容
経塚の発生は11世紀の藤原道長からであるが、鎌倉末期から室町時代になると、経巻の保存という本来の目的から逸脱して、現世利益(げんせりやく)などの祈願のための埋経へと変容していった。
相原康二(あいはらこうじ)
1943年旧満州国新京市生まれ、江刺郡(現奥州市江刺)で育つ。
1966年東北大学文学部国史学科(考古学専攻)卒業後、7年間高校教諭(岩手県立高田高校・盛岡一高) を務める。1973年から岩手県教育委員会事務局文化課で埋蔵文化財発掘調査・保護行政を担当。その後は岩手県立図書館奉仕課長、文化課文化財担当課長補佐、岩手県立博物館学芸部長を歴任し、この間に平泉町柳之御所遺跡の保存問題等を担当。2004年岩手県立図書館長で定年退職後、(財)岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター所長を経て、2009年えさし郷土文化館館長に就任。
岩手県立大学総合政策学部非常勤講師(2009年〜)
岩手大学平泉文化研究センター客員教授(2012年〜)
2024年えさし郷土文化館館長退任