#14 皐月 発掘調査の作業員の勧め
2015年5月1日
かつて、東北自動車道建設関連の発掘調査をしていた時に、次のことを意としていた。
このような開発事業関連の発掘調査(緊急発掘調査という)は、その面積が普通でも数千㎡、場合によっては1万㎡以上にもなる広大な遺跡を、限られた期間内に正確に掘り上げ、調査を終了させることが求められている。
そこに投入される専門的知識・調査技術などは、歴史学の解明のために行う発掘調査(学術調査という)と全く同じであるが、調査終了後には遺跡の現地は高速道路となって消えてしまうという決定的な違いがある。
即ち、学術調査はその遺跡は残る(現地保存)のに対して、緊急発掘調査後には遺跡は消滅し調査記録のみが残る(記録保存)のである。
ここ30年間、日本国内で実施される発掘調査の95%以上が緊急発掘調査で占められている。必ずしも正常ではない。
◆作業員が生命!
このように「厳しい環境」で行われる緊急発掘調査は、調査員と作業員の組み合わせで実施されるが、調査の成否を決定するのが作業員である。調査員の意向を理解し、その手足となって正確に掘ってくれる作業員が得られるか、である。そのためには作業員を一から指導するしかない。調査開始直後は、必要な事柄、掘り方の技術や作法を、調査員自らがお手本を示しながら指導する日々が続く。
◆掘らないで削る、出てきたものは動かさない、捨てない!
その際に、特に注意したいのが上の3点である。まず、遺跡を掘る際には、移植ベラを縦に突き刺さないで横方向に削ること、その厚さは1回に0.5~1cm(分層的発掘)。
次に、掘って出てきた土器や石器などの遺物は、すぐには取り上げないでそのままにしておくこと(原位置の保存)。
そして、絶対にしてはならないのは、出てきたものは全て、自分の判断で捨ててはいけないこと。土器でないから捨ててよい、石器でないから捨ててよい、などと勝手に判断しないこと、捨てるか否かは調査員が決めること!
その3点に留意してもらい、そこに調査員から適切な指示・動機付けが加えられると、作業員たちは間違いのない掘方をしてくれるのである。
例えば7~10世紀までの集落遺跡であった水沢区石田遺跡において、奈良時代と平安時代の竪穴住居が重複している部分について次のように指示した。即ち「ここで時代の違う住居跡が重なっている。それらのどちらが古く(奈良時代)、どちらが新しい(平安時代)かを確かめたいので、土の色・硬さ・含まれているものの違いに注意しながら土を少しずつ削って下さい」と。結果、70歳代のおばあちゃん作業員4人は見事に正解を示してくれた。
このように発掘調査の作業員の仕事は、知的好奇心を刺激する営みであり、その経験者となることをお勧めしたい。
相原康二(あいはらこうじ)
1943年旧満州国新京市生まれ、江刺郡(現奥州市江刺)で育つ。
1966年東北大学文学部国史学科(考古学専攻)卒業後、7年間高校教諭(岩手県立高田高校・盛岡一高) を務める。1973年から岩手県教育委員会事務局文化課で埋蔵文化財発掘調査・保護行政を担当。その後は岩手県立図書館奉仕課長、文化課文化財担当課長補佐、岩手県立博物館学芸部長を歴任し、この間に平泉町柳之御所遺跡の保存問題等を担当。2004年岩手県立図書館長で定年退職後、(財)岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター所長を経て、2009年えさし郷土文化館館長に就任。
岩手県立大学総合政策学部非常勤講師(2009年〜)
岩手大学平泉文化研究センター客員教授(2012年〜)
2024年えさし郷土文化館館長退任