#32 霜月 考古学から「平泉文化」を考える 奥州藤原氏の地域支配⑤―陶磁器が示唆する地域支配の様子―
2016年11月1日
発掘調査で判明した事実の中に、奥州藤原氏の地域支配に関連する手がかりが得られた。その一つが陶磁器の様相である。
北海道から東北地方にかけて、奥州藤原氏の時代、即ち12世紀の陶磁器・「かわらけ」を出土する遺跡が数百ヶ所確認されている。(岩手県内に150ヶ所前後、北海道・東北地方に400ヶ所前後)。
それらの在り方に関する八重樫忠郎氏の仮説を紹介する。(八重樫忠郎「平泉藤原氏の支配領域」『平泉の世界』所収)。
◆陶磁器の「平泉セット」
12世紀の陶磁器類を出土する遺跡群は、出土した陶磁器の種類・組み合わせの異同で二大別できる。
グループのひとつは「首都平泉」におけると同様の組み合わせ、即ち「かわらけ」・中国産陶磁器・国産陶器である。さらにそれらの中でも「手づくねかわらけ(ロクロを使用しない)」・白磁四耳壺・渥美産(愛知県)刻画文壺・常滑産(愛知県)三筋文壺のセットを「平泉セット」と仮称する。
この「平泉セット」を出す遺跡は東北地方に12ヶ所前後しかない。この数少ない遺跡は、恐らく、平泉藤原氏ととりわけ太いパイプで結ばれた藤原氏一族、或は譜代の重臣が配置された重要な地と推定してよいであろう。
他のグループは、陶磁器・「かわらけ」類の一部のみを出土し、遺跡群の大半を占める。奥州藤原氏の支配領域を示すもの、あるいは、何らかの機能を果たしていた施設などが所在した痕跡などであろう。
◆「平泉セット」の分布とその背景
①岩手県―「首都平泉」に加えて、「ミニ平泉」ともいうべき比爪館跡(紫波郡紫波町)ほか
②青森県―浪岡城跡内館(南津軽郡浪岡町)・蓬田大舘跡(東津軽郡蓬田村)・中崎館跡(弘前市)・内真部遺跡(青森市)など
③宮城県―多賀城跡(多賀城市)・花山寺跡(旧栗原郡花山村)・大古町遺跡(伊具郡丸森町)など
④秋田県―矢立廃寺跡(大館市)・観音寺廃寺跡(平鹿郡大森町)など
⑤福島県―白水阿弥陀堂(いわき市)
これらは、多賀城以北の宮城県北部~岩手県全域~秋田県北東隅~津軽地方に主に分布するということができる。これは奥大道の北半分のルートに重なっている。」
◆これらのことは、盛岡以南の北上川流域、即ち旧奥六郡の地を本貫の地としながら、それらに加えて、先の地域を奥州藤原氏の支配の拠点・基盤としていた可能性が極めて高いことを物語っている。
なお、これからの地域からは、平泉に酷似する「かわらけ」も出土しており、平泉との結びつきの強さを重ねて示唆している。
一方、山形県や福島県地方の「かわらけ」は平泉とは様相を異にするものが多い。この「かわらけ」の異同が、前回紹介した「人々旧絹日記に記された人物の「殿」の有無、さらには主従関係の「家人」「家・礼」の別に関連する可能性もある。」
相原康二(あいはらこうじ)
1943年旧満州国新京市生まれ、江刺郡(現奥州市江刺)で育つ。
1966年東北大学文学部国史学科(考古学専攻)卒業後、7年間高校教諭(岩手県立高田高校・盛岡一高) を務める。1973年から岩手県教育委員会事務局文化課で埋蔵文化財発掘調査・保護行政を担当。その後は岩手県立図書館奉仕課長、文化課文化財担当課長補佐、岩手県立博物館学芸部長を歴任し、この間に平泉町柳之御所遺跡の保存問題等を担当。2004年岩手県立図書館長で定年退職後、(財)岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター所長を経て、2009年えさし郷土文化館館長に就任。
岩手県立大学総合政策学部非常勤講師(2009年〜)
岩手大学平泉文化研究センター客員教授(2012年〜)
2024年えさし郷土文化館館長退任