#46 睦月 考古学から平泉文化を考える㊲ 日本考古学への貢献―トイレ考古学―
2018年1月5日
柳之御所遺跡をはじめとする平泉遺跡群の発掘調査が、特定の研究テーマを深化させ、結果的に日本の考古学の進歩に貢献することになった例がいくつかある。その一つがトイレ考古学である。
平泉遺跡群の多くの遺跡から、直径・深さともに2~3㍍前後の円筒形の掘り込み(穴)で、その中に漆黒の土が堆積し、その堆積土中に割り箸を大型にしたような細長い木片、各種の植物の種実、蠅のサナギなどが混じっている遺構が多数発見されている。
▲現場の調査員は、民俗学的知識などを総動員して、大型の割り箸状の木片は、排便後に尻に付いた便を掻き取る糞箆(くそべら)、古語では籌木(ちゅうぎ)であろうと判断できたので、これらの遺構をトイレ跡(トイレ状遺構)と推定した。
籌木は平安時代の絵巻物、或は菅江真澄の旅日記にも出て来るなど、古代から近世まで極めて一般的なもので、決して辺境性・後進性を示す道具ではない。岩手県においても1950年代頃までは各地で使用されていた記憶がある。なお、金野静一(きんの・せいいち)氏の教示によると、籌木(ちゅうぎ)の気仙地方の方言は「チョンギ」という由である。方言は原型をよく保存している。
▲寄生虫卵分析法
天理大学天理参考館の金原正明(かねはら・まさあき)氏によって、この種の遺構の検討に寄生虫卵の分析法が導入され、研究が急激に進んだ。同氏の柳之御所遺跡のトイレ跡の総合的な分析によって、様々な可能性が開発された。(以下は金原正明「トイレから見た中世都市」『歴史読本629』1994年 新人物往来社発行より)。
「*柳之御所遺跡のトイレ内堆積土に1㎤当り5万個以上の寄生虫卵が確認された。これはこの土が糞便そのものの堆積土であり、この遺構がトイレであることを証明する。
*寄生虫の種類は回虫(かいちゅう)、鞭虫(べんちゅう)、肝吸虫(かんきゅうちゅう)、横川吸虫(よこがわ・きゅうちゅう)、日本海裂頭条虫(にほんかい・れっとうじょうちゅう)の5種。
*回虫・鞭虫卵の存在は野菜や野草を生か、十分に火を通さないで食べていたこと、さらに糞尿を肥料としていた可能性を示す。
*肝吸虫と横川吸虫の存在は、コイ科やアユのような淡水魚を、生食か十分に火を通さずに食べていたことを示す。なお、この2種は柳之御所では少ないが、藤原京跡など西日本の人々が採っていた魚の食材の違いを示す。
▲薬用植物が存在!
これほど多量の寄生虫卵が存在することは、奥州藤原時代の人々は寄生虫症(腹痛や貧血)に大いに苦しんでいたはずである。
そこで、トイレの堆積土に含まれる植物の種実・花粉を分析してみると多くの食用植物が同定できた。そのうち、ヒユやアカザの穂は腹痛や虫下しの効能ありと平安時代の医学書に出ていた。
このようにトイレ跡の分析は、当時の食生活・食習慣・衛生状態・施肥方法・薬用植物などに係るデータを提供してくれるのである。
日本考古学におけるトイレ考古学の地歩を固める貴重なデータを柳之御所遺跡が提供したのであった。
相原康二(あいはらこうじ)
1943年旧満州国新京市生まれ、江刺郡(現奥州市江刺)で育つ。
1966年東北大学文学部国史学科(考古学専攻)卒業後、7年間高校教諭(岩手県立高田高校・盛岡一高) を務める。1973年から岩手県教育委員会事務局文化課で埋蔵文化財発掘調査・保護行政を担当。その後は岩手県立図書館奉仕課長、文化課文化財担当課長補佐、岩手県立博物館学芸部長を歴任し、この間に平泉町柳之御所遺跡の保存問題等を担当。2004年岩手県立図書館長で定年退職後、(財)岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター所長を経て、2009年えさし郷土文化館館長に就任。
岩手県立大学総合政策学部非常勤講師(2009年〜)
岩手大学平泉文化研究センター客員教授(2012年〜)
2024年えさし郷土文化館館長退任