館長室から

#47 如月 考古学から平泉文化を考える㊳ 日本考古学への貢献-呪いの考古学①-

2018年2月6日

奥州藤原氏も、彼土浄土・此土浄土などの願いは仏教によって実現しようとしたが、除災招福、豊穣な実りなど、身近で切実な願いのためには様々な呪いを行っていた。平泉遺跡群から呪いに関する様々な遺構・遺物が発見されている。
平安時代の呪いには道教、陰陽道、修験道などが複雑に関連していたといわれる。
道教は2世紀頃の中国に始まったもので、多様な民間信仰と神仙思想・養生思想・仏教・儒教・墨子・易・陰陽・五行思想などが混然となったもの。日本の陰陽道や修験道に影響を与えたが、庚申信仰にそれが最も強く表れている。

陰陽道も古代中国の陰陽五行説に基づき、災異や吉凶を説明し、易占を行い、それに祓いや祭祀も含めて日本で体系化された。奈良時代には朝廷の宮司として陰陽寮が設置され、占いや暦法を扱ったが、平安時代には安倍・加茂両家の家業となった。

修験道は原始的な山岳信仰に道教、密教などが結合し、奈良時代に成立。平安時代には天台・真言密教僧たちの山岳修行とも結合し、修験者という言葉も成立した。

◆出土した呪符

柳之御所遺跡から3点の呪符が出土。呪いの内容と頼みとする神名、願いを達するための常套句が記されたスギ材の板。

①18.2×2.4センチ
(表面)「鬼鬼鬼(重ね書き)惣 急々如律令」
②18.9×2.0センチ
(表面)「天罡 付籙 急々如律令」
(裏面)「五芒星 急々如律令」
③18.0×1.8センチ
(表面)「天罡 符籙 急々如律令」
(裏面)「五芒星 惣 鬼鬼鬼」

「鬼」は鬼神、「惣」はすべて(の鬼神)。「「急々如律令(きゅうきゅう・にょ・りつりょう)」は、元来は中国漢代の公文書の末尾に記された決まり文句で「急いで律令(法律)の如く行え」の意味であった。それから転じて、式神(陰陽道の下級の諸神)に対して「○○を成就すべく速やかに行え、鬼よ去れ」と命名する呪文に用いられた。
「天罡星(てんこうせい)」は道教の神で、北斗七星の別名。持病・消災・延命などを司る神。
道教には、他に、天刑星があるが、これは天形星とも呼ばれ、木星のことで、牛頭天皇などの荒々しい行疫神をも退治してしまう強力な神である。
「符籙(ふろく)」は道教・陰陽道・修験道などの呪いに用いる符牒。願いの内容によって様々な形がある。
「五芒星(ごぼうせい)」は現在の一筆書きで描く星形に同じ。この星形をきちんとかけば鬼が入り込む隙間がない、つまりは魔除けになるとの意味があるマーク。有名な陰陽師安倍晴明の紋である。
これと同じ魔除けのマークに九字がある。縦線4本、横線5本の交叉した図で、惡鬼が道に迷って入り込めない、との意味。
このように、呪いの上でも平泉は都市型であったと言える。

#47 如月 考古学から平泉文化を考える㊳ 日本考古学への貢献-呪いの考古学①-
相原康二

相原康二(あいはらこうじ)

1943年旧満州国新京市生まれ、江刺郡(現奥州市江刺)で育つ。
1966年東北大学文学部国史学科(考古学専攻)卒業後、7年間高校教諭(岩手県立高田高校・盛岡一高) を務める。1973年から岩手県教育委員会事務局文化課で埋蔵文化財発掘調査・保護行政を担当。その後は岩手県立図書館奉仕課長、文化課文化財担当課長補佐、岩手県立博物館学芸部長を歴任し、この間に平泉町柳之御所遺跡の保存問題等を担当。2004年岩手県立図書館長で定年退職後、(財)岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター所長を経て、2009年えさし郷土文化館館長に就任。

岩手県立大学総合政策学部非常勤講師(2009年〜)

岩手大学平泉文化研究センター客員教授(2012年〜)

2024年えさし郷土文化館館長退任

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