#49 卯月 考古学から平泉文化を考える㊵ 「平泉の文化遺産」を生かす!
2018年4月1日
最後に、「平泉の文化遺産」をどのように活用するか、さらに敷衍して、広汎に存在する故郷の文化遺産を、私たちの生活の中にどのように生かしてゆくか、という課題にとらえ直して考えてみる。
◆史跡など、故郷の文化財には一般的に次のようなことが求められる。学術的価値と生涯学習的価値の双方を生かす視点からの整理である。
△調査・研究―その為の組織を整備し、調査計画を策定したうえで、史跡の内容がいかなるものか、いかなる価値を有するかを確認するための最も基礎的な作業である。
追加登録を目指している5史跡について述べれば、柳之御所遺跡以外の4史跡の調査研究は必ずしも十分ではないので、積極的・迅速にそれを進める必要がある。
△周知・徹底―調査・研究の成果を、地域住民にわかり易い形で周知することが必要。
△復元・整備―調査・研究の成果を史跡公園として整備し、学術的に正確、かつ、一般の人々にも分かり易い形で提示することが必要。
史跡公園化にも様々な手法がある。最も基本的なのが、地下に埋もれている本物の遺構の保存を最優先し、史跡内に建物などを復元しないで、せいぜい芝を張る程度に留める方法。平泉町内の各史跡・矢巾町徳丹城跡・二戸市九戸城跡などが該当する。
しかし、この手法による表現は一般の人々にはわかりにくいので、近年は、建物などの遺構を積極的に復元し、視覚的にも理解しやすい手法が主流となっている。盛岡市の志波城跡・北上市樺山遺跡・一戸町御所野遺跡・花巻市花巻城跡本丸西御門などが該当する。
△史跡公園を活動の場として開放する!
積極的に復元整備された史跡公園をダイナミックに活用する型である。佐賀県吉野ヶ里遺跡や青森県三内丸山遺跡から始まった形である。
史跡公園を、歴史の追体験など、個人が受身的に学ぶための場所ではなく、そこに行って、自分のやりたい活動ができ、生きがいを見いだせる場として開放する、即ち、史跡を地域住民の生涯学習の場や契機としても提供するという考え方である。ボランティア・ガイド・グッズ製作、情報作成・発信など、様々な分野に地域住民が参加している。
◆一戸町御所野遺跡の活動!
史跡公園を、このような考え方によって、見事に活用しているのが御所野遺跡である。ここでは、野外を御所野縄文公園として整備し、それに御所野縄文館・体験学習施設を併設して、それらを舞台として様々な活動が展開されている。
小学生向けに御所野愛護少年団を組織し、学習活動や維持管理事業などを展開している。
一般向けには、博物館の学芸業務補助、ボランティア・ガイド(野外・屋内)、維持管理業務などを準備。
高齢者向けに、イベントの際の物品販売を準備している。これらの活動は御所野遺跡を支える会が取りまとめているが、その活動は自主性を尊重し、かつ、得られた収入も会に任せている由である。会は自らの企画で秋田県・青森県・北海道の類似遺跡との交流活動を実施してきている。
平泉の文化遺産も、このように柔軟に活用されるならば、真に地域住民のものとなり、外部へ発信されていくであろう。世界文化遺産になった本当の意味はそこにあると思われる。
相原康二(あいはらこうじ)
1943年旧満州国新京市生まれ、江刺郡(現奥州市江刺)で育つ。
1966年東北大学文学部国史学科(考古学専攻)卒業後、7年間高校教諭(岩手県立高田高校・盛岡一高) を務める。1973年から岩手県教育委員会事務局文化課で埋蔵文化財発掘調査・保護行政を担当。その後は岩手県立図書館奉仕課長、文化課文化財担当課長補佐、岩手県立博物館学芸部長を歴任し、この間に平泉町柳之御所遺跡の保存問題等を担当。2004年岩手県立図書館長で定年退職後、(財)岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター所長を経て、2009年えさし郷土文化館館長に就任。
岩手県立大学総合政策学部非常勤講師(2009年〜)
岩手大学平泉文化研究センター客員教授(2012年〜)
2024年えさし郷土文化館館長退任