館長室から

#66 長月 平泉遺跡群出土の重要文化財再見①

2019年9月1日

柳之御所遺跡をはじめとする平泉町内の遺跡群(奥州藤原氏時代の平泉町内の遺跡群がこう呼ばれる)より出土した様々な遺物2,204点が、2010年6月に国の重要文化財に指定されています。12世紀の奥羽両国に平和な社会を出現させた奥州藤原氏時代の具体的姿を示すものとして一括して指定されたものです。

それらの種別・件数等を改めて紹介しておきます。

*区分・点数―国指定重要文化財 考古資料2,204点

*指定年月日―2010年6月29日

*所在・所有―岩手県立博物館:平泉文化遺産センター 岩手県・平泉町

*意義―岩手県西磐井郡平泉町に所在する平泉遺跡群のうち、柳之御所遺跡(国史跡)・志羅山遺跡・泉屋遺跡・伽羅之御所跡・毛越遺跡・里遺跡・宿遺跡外から出土した平安時代の一括遺物である。
文字資料を含む豊富な木製品をはじめとする多様な遺物群は、平泉文化を担った藤原氏の政治・文化・経済・社会の実相を示す都市遺跡よりの出土品として、極めて重要である。

*遺物の構成―かわらけ・国産陶器・輸入陶磁器・瓦等焼物製品、木製品、木簡類、漆製品、石製品、金属製品、骨角成員、ガラス製品。

それら遺物の種類と点数は以下の通り。

*磁器・陶器・土器・土製品 1,106点

*木製品 716点

*木簡(もっかん) 130点

*漆器 49点

*石製品 62点

*金属製品 125点

*鹿角弭(ろっかく・ゆはず) 1点

*漆漉布(うるし・こしぬの) 1点

*漆紙残決(うるしがみ・ざんけつ) 7点

*骨角(こっかく)製品 2点

*繊維製品 3点

*ガラス玉 2点

指定理由にある通り、これらの遺物群は、12世紀の奥羽地方を支配した奥州藤原氏の政治や文化の内容を示すものであり、それらを研究することによって、奥州藤原氏時代の具体相をより詳細に明らかにしてくれると思われます。

これからそれらの概略を紹介し、そこから導き出された新しい研究課題等に触れてみることにします。その一つを予め紹介しますと、平泉が確かに「都市」であった、しかも、西方の近畿地方や北方の蝦夷地などの外界から、多くの人間や物資が大量に流入する活気にあふれた「都市」であったということです。
現在、柳之御所(やなぎのごしょ)遺跡・達国窟(たっこくのいわや)(以上平泉町)、骨寺村荘園(ほねでらむら・しょうえん)遺跡(一関市本寺)、長者ヶ原廃寺跡(奥州市衣川)・白鳥館(しらとりだて)遺跡(同前沢)の5史跡が、ユネスコ世界文化遺産「平泉の文化遺産」への拡張登録(追加登録)の運動を展開しています。その説明として、平泉の町は浄土を実現した「都市」であり、これらの5遺跡は、その都市機能の一部を果たしていたということができるのではないでしょうか。

#66 長月 平泉遺跡群出土の重要文化財再見①
相原康二

相原康二(あいはらこうじ)

1943年旧満州国新京市生まれ、江刺郡(現奥州市江刺)で育つ。
1966年東北大学文学部国史学科(考古学専攻)卒業後、7年間高校教諭(岩手県立高田高校・盛岡一高) を務める。1973年から岩手県教育委員会事務局文化課で埋蔵文化財発掘調査・保護行政を担当。その後は岩手県立図書館奉仕課長、文化課文化財担当課長補佐、岩手県立博物館学芸部長を歴任し、この間に平泉町柳之御所遺跡の保存問題等を担当。2004年岩手県立図書館長で定年退職後、(財)岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター所長を経て、2009年えさし郷土文化館館長に就任。

岩手県立大学総合政策学部非常勤講師(2009年〜)

岩手大学平泉文化研究センター客員教授(2012年〜)

2024年えさし郷土文化館館長退任

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