#76 文月 平泉遺跡群の重要文化財再見⑪
2020年7月1日
◆絵画資料(墨画折敷)②
▽蛙(かえる)墨画折敷
柳之御所遺跡を囲む堀の西北端部より出土。折敷の板の破片(10×4㎝)に、右手に扇、左手にススキ(の弓?)を持ち、直立したカエルが墨で描かれています。
一見して、高山寺の『鳥獣人物戯画』中に描かれたカエルを連想させますが、3氏のコメントを紹介します。
*有賀祥隆(ありが・よしたか)氏(東北大学名誉教授)説―「筆使いから見て、専門の絵師ではなく、多少絵心のある素人が戯れに描いたものではないか。
ただし、眼の描き方からして、『鳥獣戯画』のカエルに真似て描いてはいない。仮に、『鳥獣戯画』の擬人化の先例が中国にあったとして、京都を経ずに、直接中国から平泉へ入って来た可能性も考えられる」とされた。
*大矢邦宣(おおや・くにのり)氏(平泉文化遺産センター館長)説―『鳥獣人物戯画』のウサギとカエルの図がモデルではないかとしました。即ち、
「具体的には、『鳥獣戯画』の甲巻(こうのまき)に描かれたウサギとカエルの「賭弓(のりゆみ)」の場面中の「扇とススキの弓を持つウサギ」である。賭弓とは、物を賭けて弓を射ることで、宮中や貴族の屋敷内で行われていた。
『鳥獣戯画』は、1160年ころ、後白河法皇が作らせ、愛玩していたものである。それを見知っていた院の近臣(いんのきんしん)や公家、或いは平氏の関係者が平泉へ下向し、自分の見聞を披露しようと記憶のままに描いた際に、ウサギトカエルを間違えたのではないか。
奥州藤原氏は都の最新情報の収集に神経を配り、情報網をしっかり張り巡らせていたことを物語るもの」とされました。
奥州藤原氏の情報収集拠点として、現代的に表現すると「奥州藤原氏京都事務所」が存在したのであろう。そして、その位置は京都市上京区今出川七本松上ルの真言宗瑞王山(ずいおうさん)大報恩寺(だいほうおんじ)、通称千本釈迦堂(せんぼん・しゃかどう)付近であろう、とする見通しを述べる学者もおられる。
*泉武夫(いずみ・たけお)氏(東北大学)説―「この板絵は、『鳥獣戯画』とほぼ同時期に、動物を擬人化する表現方法があったということで画期的である。それなりの絵心のあった人物が何かの場面でいたずら描きをしたものか。
この絵は京都から入ってきたものであろうが、『鳥獣戯画』は秘蔵されていて、一般の人の目には触れなかったと思われる。
ところで、後白河法皇は『年中行事絵巻(ねんじゅう・ぎょうじ・えまき)』を描かせたことも知られている。
その一つの『賀茂祭(かもまつり)の行列』に出て来る人物が持っている「風流傘(ふうりゅうかさ)」の「傘鉾(かさほこ)」の上には、カエルやサル・ウサギなどが戯れている様子を表現した立体的な造物(つくりもの)が載せられている。これらの動物は神の使いで、その情景は神祭りの一部をなす神聖な行為とされる。
賀茂祭は、当時、都の誰もが知っている有名な祭りであり、当然、一般の人が見ることが出来た。その行列の「傘鉾」を見た人が平泉に下向して、何かの機会に発想を得て描いた可能性はないであろうか。」との推定です。魅力的な説です。
相原康二(あいはらこうじ)
1943年旧満州国新京市生まれ、江刺郡(現奥州市江刺)で育つ。
1966年東北大学文学部国史学科(考古学専攻)卒業後、7年間高校教諭(岩手県立高田高校・盛岡一高) を務める。1973年から岩手県教育委員会事務局文化課で埋蔵文化財発掘調査・保護行政を担当。その後は岩手県立図書館奉仕課長、文化課文化財担当課長補佐、岩手県立博物館学芸部長を歴任し、この間に平泉町柳之御所遺跡の保存問題等を担当。2004年岩手県立図書館長で定年退職後、(財)岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター所長を経て、2009年えさし郷土文化館館長に就任。
岩手県立大学総合政策学部非常勤講師(2009年〜)
岩手大学平泉文化研究センター客員教授(2012年〜)
2024年えさし郷土文化館館長退任