#77 葉月 平泉遺跡群出土の重要文化財再見⑫
2020年8月31日
◆遊戯具・呪具(ゆうぎぐ・じゅぐ)
柳之御所遺跡や中尊寺境内・志羅山(しらやま)遺跡より、主に正月に行われる、各種の遊びの道具が出土しています。いわゆる予祝儀礼的意味を持った遊戯で、呪(まじな)いと近い関係にありました。
▽毬打(ぎっちょう)の毬(まり)
毬打とは、木製の毬をスティックで打ち合う、現在のグランド・ホッケーに似た遊びです。柳之御所より、角(かど)を落としながら直径4㎝の球状に仕上げた木製の毬が出ています。この毬は、胡魔(こま、中国の西方から襲来する魔物、災難)ともみなされ、それを打ち払う災難除けの遊びです。
▽木トンボ
木トンボ(竹トンボ)の羽の部分で、中央に小さな穴があります。トンボ(蜻蛉)は蚊を食べてくれる益虫ですが、正月に木トンボを飛ばして、蚊を脅して、夏に出て来る量を減らそうという願いが込められています。
▽羽子板(はごいた)
羽子板状のものが1枚出土しています。
羽根つきの羽根の別名は胡鬼子(こきのこ)、羽子板のそれは胡鬼板(こきいた)でした。
既に述べたように、中国の漢民族にとって、最大の災難は、胡国と呼ばれたペルシャ方面など西方より、様々な遊牧民が侵入してくることでした。そこから、災難を意味する胡鬼(こき)という言葉が生じたのでした。
なお、無患子(むくろじ)の羽根をトンボと見立てて、乳幼児に悪さを及ぼす蚊を脅かそうという、木トンボ(竹トンボ)と同じ意味を持っていたとも言われています。
▽独楽(こま)
木の棒をロクロを用いて円錐形に造り出したものが出土し、独楽とみなされました。
コママワシのコマは、現在は独楽と書きますが、古代には胡魔(こま)とも書きました。胡鬼と同じ意味でした。
コママワシの最後の場面では、独楽を紐で叩きますが、これも災難をやっつける、除ける意味があると解されています。
以下は遊戯具としての性格の強い物です。
▽将棋の駒
柳之御所遺跡より「歩兵」と「(崩し字の)金」が、中尊寺境内より「歩兵」「銀将」「桂馬」「香車」「金將」が、志羅山遺跡より「飛龍」がでています。うち、「飛龍」は平安時代に行われていた大将棋(だいしょうぎ)の駒です。大将棋は、現在の縦横9升40枚より多い、縦横13升68枚で遊ばれ、12世紀半ばから13世紀一杯流行しました。
▽碁石 柳之御所遺跡より出土。
▽双六(すごろく)の駒
柳之御所遺跡より出土し、直径1.8㎝、厚さ0.9㎝の白っぽい石製です。
▽サイコロ
志羅山遺跡出土より出土し、1辺が0.7㎝の木製です。サイコロの目は表裏の合計が「七」になるはずですが、このサイコロは「一の裏は六」だからよいのですが、「二の裏は三」「四の裏は五」となっていて乱れています。また、このサイコロを誤って割ったところ、中心をはずれた位置に異物が入れられていたことが判明しました。もしかすると、「いかさま賭博」用に作成された可能性があります。
相原康二(あいはらこうじ)
1943年旧満州国新京市生まれ、江刺郡(現奥州市江刺)で育つ。
1966年東北大学文学部国史学科(考古学専攻)卒業後、7年間高校教諭(岩手県立高田高校・盛岡一高) を務める。1973年から岩手県教育委員会事務局文化課で埋蔵文化財発掘調査・保護行政を担当。その後は岩手県立図書館奉仕課長、文化課文化財担当課長補佐、岩手県立博物館学芸部長を歴任し、この間に平泉町柳之御所遺跡の保存問題等を担当。2004年岩手県立図書館長で定年退職後、(財)岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター所長を経て、2009年えさし郷土文化館館長に就任。
岩手県立大学総合政策学部非常勤講師(2009年〜)
岩手大学平泉文化研究センター客員教授(2012年〜)
2024年えさし郷土文化館館長退任