#78 長月 平泉遺跡群出土の重要文化財再見⑬
2020年9月1日
◆和鏡(わきょう)
平泉遺跡群より10面以上の鏡が出土しています。以下に紹介します。
*柳之御所遺跡
破片1
秋草双鳥鏡(あきくさ・そうちょう・きょう)1 12世紀後半
八稜鏡(はちりょうきょう)破片1 同上
松鶴鏡(まつつる・きょう)1 同上
破片1
*伽羅之御所跡(きゃらのごしょあと)
山水飛雁鏡(さんすい・ひがん・きょう)12世紀半
漆器の鏡箱入り
*白山社(はくさんしゃ)遺跡
花枝双雀鏡(かし・そうじゃく・きょう)同上
*中尊寺境内
唐草双鳥五花鏡(からくさ・そうちょう・ごかきょう)11世紀末~12世紀前半
*泉屋(いずみや)遺跡
瑞花双鳥鏡(ずいか・そうちょう・きょう)
*里(さと)遺跡
草花双鳥鏡(そうか・そうちょう・きょう)12世紀後半
松鶴鏡 同上
杉山洋(すぎやま・ひろし)氏(奈良国立文化財研究所)によりますと、「京都から平泉への和鏡は12世紀前半から搬入が始まり、中頃まで続いた。
しかし、同じ12世紀中頃でも、伽羅之御所跡の山水飛雁鏡は梅樹文金銀蒔絵鏡箱(ばいじゅもん・きんぎんまきえ・かがみばこ)に入っていたので、京都からの搬入品の可能性があり、白山社の花枝双雀鏡は文様構成が京都産と異なっているので平泉の在地産の可能性がある。そして12世紀後半の柳之御所の松鶴鏡と里遺跡の鏡の2面は平泉産であろう。ただし、柳之御所の秋草双鳥鏡は京都産の可能性があり、12世紀半ば以降は、搬入産と在地産が併存していた」と述べています。平泉における生産活動の一端を示すものでしょう。
◆轡(くつわ)
奥州藤原氏も騎馬武者でした。志羅山遺跡より鴛鴦文銅象嵌鏡轡(えんおうもん・どうぞうがん・かがみくつわ)が出土し、注目されました。京都出土のものにそっくりでした。
久保智康(くぼ・ともやす)氏(京都国立博物館)の所見を紹介します。「後白河法皇の御所であった法住寺殿(ほうじゅうじどの)(京都市東山区)より鶴文(つるもん)銅象嵌鏡轡(国重要文化財)が出土している。鏡轡という名前は、馬の口元の両脇に、円形の鏡板(かがみいた)が加えられていることからきている。これと志羅山例を比較すると、鶴と鴛鴦(おしどり)という違いはあるが、その構造・寸法は驚くほど近似している。従って、志羅山例が京都の影響を受けていることは確実であるが、素材となる鉄の鍛造(たんぞう)技法や象嵌の技法に違いがあること、さらに、志羅山例が鍍金(めっき)していないなどの相違点も多い。やはり、志羅山例は、京都から来た工人(こうじん)の指導のもとに、平泉の現地で製作されたものであろう。」
これまでの調査で、志羅山遺跡より、鏡の鋳型、炉壁(ろへき)、坩堝(るつぼ)、銅版の切り屑なども出土しており、銅器の現地生産は確実に行われていました。
さらに、白山社遺跡には、梵鐘(ぼんしょう)を鍛造した遺構も確認されています。
相原康二(あいはらこうじ)
1943年旧満州国新京市生まれ、江刺郡(現奥州市江刺)で育つ。
1966年東北大学文学部国史学科(考古学専攻)卒業後、7年間高校教諭(岩手県立高田高校・盛岡一高) を務める。1973年から岩手県教育委員会事務局文化課で埋蔵文化財発掘調査・保護行政を担当。その後は岩手県立図書館奉仕課長、文化課文化財担当課長補佐、岩手県立博物館学芸部長を歴任し、この間に平泉町柳之御所遺跡の保存問題等を担当。2004年岩手県立図書館長で定年退職後、(財)岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター所長を経て、2009年えさし郷土文化館館長に就任。
岩手県立大学総合政策学部非常勤講師(2009年〜)
岩手大学平泉文化研究センター客員教授(2012年〜)
2024年えさし郷土文化館館長退任