#79 神無月 平泉遺跡群出土の重要文化財再見⑭
2020年10月1日
◆籌木(ちゅうぎ)―トイレ考古学―
各遺跡にあるが、特に柳之御所遺跡に最も多く(100基前後)検出された、直径0.7~1.5m、深さ1.1~1.6m前後の円筒形の掘り込み(土孔(どこう))です。その中に、水分の多い漆黒や灰色の土が堆積し、土中にウリ(瓜)の種子や割り箸を大きくしたような細長い木片が多数含まれています。民俗学的見地から、この木片は、トイレットペーパー的に使用された籌木と判断できましたので、これらの掘り込みはトイレ関連と推定されました。なお、籌木は都の貴族から地方の庶民まで一様に使用していました。
この土を寄生虫卵分析や花粉分析、種実同定した結果、ヒトの排泄物、人糞に由来することが確認されました。トイレ考古学の始まりです。
寄生虫卵には回虫(かいちゅう)と鞭虫(べんちゅう)が最も多く、次に日本海裂頭条虫(にほんかい・れっとう・じょうちゅう)(通称サナダ虫)があり、さらに少ないが肝吸虫(かんきゅうちゅう)・横川吸虫(よこかわ・きゅうちゅう)があります。
回虫と鞭虫卵は、野菜等を丁寧に洗わないで、或いは、よく加熱しないで食べると人の体内に入る。サナダ虫卵は秋に川を遡ってくるサケやマス(鮭・鱒)をよく加熱しないで食べる、肝吸虫と横川吸虫卵は淡水産のアユやフナ・コイ(鮎・鮒・鯉)を同様に調理すると人の体内に入ものです。これらの虫は、1950年代ごろの日本の児童生徒のお腹の中に、当たり前のようにいました。奥州藤原氏時代と同じような衛生状態、調理方法であったということです。
花粉分析では、イネ(稲)科とアブラナ科が多く、ヒエ(稗)、ソバ(蕎麦)属、ヒユ属、センブリ属があります。種実ではナス属、ウリ属、シソ属などがあり、イネ・ヒエ・ゴマ(胡麻)・エゴマ(荏胡麻)・キイチゴ属・マタタビ・サルナシ・クワ属・アケビブドウ属がありました。
これらの結果から見えてくるのは、当時の主食にはコメ・アワ(粟)・ヒエ・ソバがあり、野菜としてアブラナが多く食べられていたこと。また、ナス(茄子)やウリ類・シソ(紫蘇)属・ゴマ(胡麻)・エゴマ(荏胡麻)等の栽培植物、山野から採取されたキイチゴ属やマタタビ・クワ(桑)属が好まれていたようです。さらに、ヒユ族やセンブリは胃薬や腹痛、虫下しの薬として用いられた可能性があります。
なお、サナダ虫卵を出すトイレは東日本に多く、肝吸虫・横川吸虫卵を出すトイレは西日本に多いという傾向も指摘されており、東西日本の食材の違いを反映しているとされます。また、古代の人々は魚を主に採っていたことも推定されています。
これと関連して、有鉤条虫(ゆうこう・じょうちゅう)という哺乳類へ寄生する虫の卵を出すトイレが、秋田城跡(秋田県)や大宰府(だざいふ)(福岡県)など、外国人が居た地に確認されています。秋田城には渤海(ぼっかい)(中国東北部の東に所在した国)からの使者が、大宰府には大陸より使節団が来ており、有鉤条虫卵を出すトイレは、肉を食べた外国人が使用したものとの可能性も指摘されています。
このように、トイレの跡は、当時の衛生・調理・施肥の状況や薬剤、さらには外国人の居住の有無などに関わる様々なデータを提供してくれるのです。
なお、籌木の多くは使用されなくなった折敷の板を割って作られていますが、僅かですが、最初から「籌木」として丁寧に作られたものもあります。使用する人物の身分の違いでしょうか。
相原康二(あいはらこうじ)
1943年旧満州国新京市生まれ、江刺郡(現奥州市江刺)で育つ。
1966年東北大学文学部国史学科(考古学専攻)卒業後、7年間高校教諭(岩手県立高田高校・盛岡一高) を務める。1973年から岩手県教育委員会事務局文化課で埋蔵文化財発掘調査・保護行政を担当。その後は岩手県立図書館奉仕課長、文化課文化財担当課長補佐、岩手県立博物館学芸部長を歴任し、この間に平泉町柳之御所遺跡の保存問題等を担当。2004年岩手県立図書館長で定年退職後、(財)岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター所長を経て、2009年えさし郷土文化館館長に就任。
岩手県立大学総合政策学部非常勤講師(2009年〜)
岩手大学平泉文化研究センター客員教授(2012年〜)
2024年えさし郷土文化館館長退任