#83 如月 義経は生きて北へ逃れた?―蝦夷地から成吉思汗まで―④
2021年2月7日
◆旧江刺郡地方の義経伝説他②
① 先の金野靜一氏の著書では次のように記しています。(平泉舘)―束稲山麓庄司屋敷―束稲山―田河津―猿沢観福寺(以上磐井郡)―田原弁慶屋敷―岩谷堂多聞寺―玉里玉崎神社―伊手源休館―人首―五輪峠―物見山―姥石峠(以上江刺郡)―気仙郡へ
② 次に千葉俊一氏著の『伝説で紡ぐ義経と江刺
』によってより詳しく紹介します。
〇義経本人関連
*岩谷堂苗代沢―藍婆社(義経の臍の緒を祀る)
*米里野里―白旗社(祭神杉目小太郎行信)
*田原御免―弁慶屋敷(弁慶の住居跡、義経一行が立ち寄り、白粟5升を求め炊かせて空腹を満たした。以前は弁慶足洗い池、粟借り証文、義経自筆文書、弁慶の般若経などもあった)
*岩谷堂南町―多聞寺(泊めてもらったお礼に鈴木三郎重家の笈を置く、重家の子の重染が紀州より奥州へ下り、多聞寺に薬師堂を建立、隣接する山に重染寺を建立、重染山とも呼ばれた坊館山に弁慶の腰掛松あり)
*玉里玉崎―玉崎駒形神社(玉崎観音堂)― 一行は武運長久を祈願し牧場山に馬を放つ、太刀・槍・経文等を奉納、槍先残存
*伊手久田―源休館(建久館・狐石城・稲荷社・地神坊)(義経一行休息)
*米里・伊手・住田の境―姥石峠を越える、続いて人首―五輪峠―大森山―物見山―
*熊野神社(南ノ宮観音堂)(神社東方の尻掛山頂より望み平泉との別れを惜しむ)
*岩谷堂雲南田―駒踏石(まぶみいし)(義経の乗馬の蹄跡)
*稲瀬鶴羽衣―義経の手紙
〇義経家臣佐藤氏関連
*伊手久田―建久館(天久館)(佐藤氏居館、或いは建久4年出羽国置賜郡より移った佐藤刑部為泰が築く)
*伊手新山―下館跡(佐藤兄弟居館)
*伊手宇津良―宇津良館(飯森)(建久館の佐藤氏が応永年間移る)
*伊手館下―上館跡(佐藤兄弟居館)
*岩谷堂男石―八幡社(根岸)(根岸の集落は佐藤氏の子孫、源氏の氏神八幡神を祀る)
〇義経家臣片岡氏関連
*岩谷堂根岸―正重寺(片岡氏居住)
〇義経家臣鈴木重家関連
*愛宕駒込―嘉暦(1326~29)の碑(双式石塔婆、重家墓)
*岩谷堂重染寺―重染寺跡(重家の子の重染が建立)
*岩谷堂重染寺―薬師堂(正治年中(1199~1201)重染建立、その所持した笈・大黒・恵比寿奉納)
*岩谷堂根岸―天台宗年子山宝正寺跡(鈴木三郎開山)
*岩谷堂根岸―太子堂(宝性寺跡、鈴木三郎所持の像)
〇藤原秀衡関連
*広瀬鳴石神社境内―延文(1356~61)の碑、秀衡が石を動かそうとした
*愛宕海老嶋―御堂(付近の桜は藤原氏の植えた桜並木の名残)
〇藤原泰衡関連
*稲瀬瀬谷子―五十瀬神社(蔦ノ木観音堂)(泰衡の妻が白旗城に立て籠り皇大神を祀る)
〇泰衡家臣吉田左京関連
*米里滝壷―山居館(左京居館)
*米里大畑―仏平(左京妻墓)
〇泰衡家臣門脇帯刀関連
*米里館の沢―古歌葉館―帯刀居館
〇藤原氏関連
*伊手隅川―古館跡(藤原氏隆)
*岩谷堂北田―菰幡大明神
〇その他
*田原川崎―稲荷社(三代清澄建立)
*黒石―正法寺(右大将手植柏)
*三照上ノ林―尼将軍塚
*米里山大畑―平重盛子宗実居住
*稲瀬水越―聖塚(河野通信墓一遍上人の祖父墓地墓参)
*土谷―東海道近くに神名社
*東海道は義経も下った道
様々な伝承があります。義経人気を実感します。
相原康二(あいはらこうじ)
1943年旧満州国新京市生まれ、江刺郡(現奥州市江刺)で育つ。
1966年東北大学文学部国史学科(考古学専攻)卒業後、7年間高校教諭(岩手県立高田高校・盛岡一高) を務める。1973年から岩手県教育委員会事務局文化課で埋蔵文化財発掘調査・保護行政を担当。その後は岩手県立図書館奉仕課長、文化課文化財担当課長補佐、岩手県立博物館学芸部長を歴任し、この間に平泉町柳之御所遺跡の保存問題等を担当。2004年岩手県立図書館長で定年退職後、(財)岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター所長を経て、2009年えさし郷土文化館館長に就任。
岩手県立大学総合政策学部非常勤講師(2009年〜)
岩手大学平泉文化研究センター客員教授(2012年〜)
2024年えさし郷土文化館館長退任