館長室から

#9 睦月 落合遺跡の出土遺物について(2)

2025年1月1日

あけましておめでとうございます。この一年が皆様にとって良き年になることを願っております。

また、引き続き「えさし郷土文化館」をよろしくお願いいたします。

さて、前回は落合遺跡(旧落合Ⅱ遺跡)の墨書土器を紹介いたしましたが、今回は木製品をひとつ見ましょう。

1は前回の墨書土器等と同じ場所から見つかったものです。高さ6.5㎝、上面の径3.9㎝と小形の木製品で断面形がほぼ逆二等辺三角形となっています。報告書では浮子(うき)として報告されていますが、独楽(こま)とする見方もあると併記してあります。

縄文時代以降、浮子とされる遺物はいくらか有りますが、有孔の軽石製品が多いようです。

一方独楽については、古代の遺物では滋賀県大津市南滋賀遺跡の出土品(6世紀後半から7世紀前半ころ)や奈良県橿原市の藤原宮跡の出土品(7世紀後半)などが知られていて、いずれも独楽とされています。

また、文献に記された記録では、平安中期の承平年間(931-938)に源順(みなもとのしたごう)によって編纂されたとされる『倭名類聚抄』に「獨楽 辨色立成云獨楽〔和名古未都玖利〕有孔者也」とあります。独楽の古名は「こまつくり」と言い、『辨色立成』によると独楽は「孔の有るものなり」とあるので、当時の独楽はどこかに孔が空いており、回すと何らかの音がするものだと考えられます。因みに源順が引用した『辨色立成』という文献は中国には見当たらず、日本で作られたものではないかとする説もあるようですが、実物が伝わっておらず詳細は不明です。

落合遺跡の木製品は前述した古代の独楽に形態が類似しています。これらは「むち独楽」や「たたき独楽」と呼ばれ、ひもや布などを使い、たたいて回す独楽に相当するようです。

ただし『倭名類聚抄』に記載されたような孔のある独楽ではありません。

独楽まわしは正月の遊びとして伝承されていますが、古代において独楽は何らかの祭祀や儀礼に使用されたものではないかと考えられています。

落合遺跡の出土遺物は大半が当館に収蔵されていますが、残念ながらこの木製品は当館の収蔵品ではないので実物を見ることはできません。

機会があればこの資料を実見して独楽としての使用痕があるかどうかを調べてみたいと思います。何か新しいことが分かったらまたお知らせいたします。

落合遺跡の出土遺物について独楽01

落合遺跡の出土遺物について独楽02

髙橋憲太郎

髙橋憲太郎(たかはしけんたろう)

1958年、水沢市(現奥州市)に生まれる。
1977年、岩手大学教育学部に入学し、岩手大学考古学研究会に入会後、岩手県教育委員会の西田遺跡資料整理作業や盛岡市教育委員会の志波城跡(太田方八丁遺跡)・大館町遺跡・柿ノ木平遺跡等の発掘調査や整理作業に参加する。
1981年、大学卒業後、盛岡市教育委員会(非常勤職員)・宮古市教育委員会(1984年正職員)に勤務。特に宮古市では崎山貝塚の確認調査や国史跡指定業務等に従事した。この間文化課長・崎山貝塚縄文の森ミュージアム館長・北上山地民俗資料館長等を歴任。
退職後の2020年、奥州市に帰り教育委員会にて文化財専門員(会計年度任用職員)として埋蔵文化財業務等に対応。

2021年、岩手県立大学総合政策学部非常勤講師。

2024年、えさし郷土文化館長就任。

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