館長室から

#10 如月 落合遺跡の出土遺物について(3)

2025年2月1日

江刺地区の落合遺跡(旧落合Ⅱ遺跡)からは前回紹介した独楽(こま)と見られる木製品以外にも多くの木製品が出土しています。今回は農具と思われるものを紹介します。

1~3は鋤の未製品とされるもので、コナラ類の材を使用しています。落合遺跡からはこれ以外に2点、鋤の未製品が出土しています。実測図の右側を基部、左側を先端部(刃部)とすると、基部から先端部にかけて次第に薄くなっており、一方の面が平坦です。基部は方形で、先端部は「V」字形と「U」字形の2種があります。先端部には11のような鉄製の鋤先が装着されるので、「U」字形の方がより完成形に近いと思われます。

4は「転ばし」と名付けられたコナラ類の丸材を加工した木製品です。断面形は4枚の歯を持つ歯車状となっており、欠損した部分を考慮すると本来は8枚歯だったと思われます。実測図左の端部付近にクビレがあり、著しく摩耗していることから、縄などの輪をかけて回転させて使用されたもので、水田での代掻きの際に牛馬に引かせて使用したのではないかと考えられています。

この他の農具としては、立杵が1点(5)、槌(横槌)が4点(6~9)出土しています。

落合遺跡の鋤については未製品であり、どのようにして使用したのか遺物からは詳細がわかりません。しかし、「転ばし」のように牛馬とともに使用すると思われる道具が伴っていることから、鋤も同様に使われた可能性が考えられます。

延喜式(内膳司)に牛を使って農園を耕す際の決まりが記載されていますが、この中に「辛鉏閉良(からすきのへら)」と「鋒(さき)」という用語が出てきます。また、農園で耕作する際の決まりが記載された部分では、牛一頭に対して犂(すき・からすき)を扱う者一人、牛を馭(ぎょ)する者一人と、二人掛りで作業を行うこととされています。平安時代において、農耕作業には牛馬の使役が行われていたことが確認できます。

このようなことから、落合遺跡の鋤は着柄し人力で使うものではなく、牛馬に引かせる犂の一部として作られた「辛鉏閉良(からすきのへら)」に相当するものではないかと思われます。そう考えると9のような用途が不明の木製品も犂の一部を構成する部品だった可能性も考えられ、木製品の再検討も必要になってくるものと思われます。

牛馬そのものについては江刺地区宮地遺跡に検出された平安時代の井戸跡埋土から牛馬の遺存体がややまとまって出土しています。落合・宮地両遺跡の調査成果を総合すると、少なくても江刺地区においては古代の農耕に関して牛馬の使役を想定することがでそうです。

落合遺跡の出土遺物について
落合遺跡の出土遺物について
落合遺跡の出土遺物について
落合遺跡の出土遺物について
落合遺跡の出土遺物について
髙橋憲太郎

髙橋憲太郎(たかはしけんたろう)

1958年、水沢市(現奥州市)に生まれる。
1977年、岩手大学教育学部に入学し、岩手大学考古学研究会に入会後、岩手県教育委員会の西田遺跡資料整理作業や盛岡市教育委員会の志波城跡(太田方八丁遺跡)・大館町遺跡・柿ノ木平遺跡等の発掘調査や整理作業に参加する。
1981年、大学卒業後、盛岡市教育委員会(非常勤職員)・宮古市教育委員会(1984年正職員)に勤務。特に宮古市では崎山貝塚の確認調査や国史跡指定業務等に従事した。この間文化課長・崎山貝塚縄文の森ミュージアム館長・北上山地民俗資料館長等を歴任。
退職後の2020年、奥州市に帰り教育委員会にて文化財専門員(会計年度任用職員)として埋蔵文化財業務等に対応。

2021年、岩手県立大学総合政策学部非常勤講師。

2024年、えさし郷土文化館長就任。

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